かごしま発達支援塾 by Akira Fukuyama

Akira Fukuyama

療育・発達支援分野で活動する理学療法士のポッドキャスト 療育や発達支援に関する情報やゲストを交えてのトークをお届けします Alkira Fukuyama 福山 章 療育 発達支援 理学療法士 since 1992 鹿児島県障害児等療育支援事業講師 情報処理技術者 read less
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【朗読】「世界を、こんなふうにみてごらん」冒頭
Sep 20 2022
【朗読】「世界を、こんなふうにみてごらん」冒頭
日高敏隆さんは1930年(昭和5年)に生まれ、2009年(平成21年)に亡くなられた日本における動物行動学の草分けの方です。 日高さんのお名前を初めて目にしたのは、同じく動物行動学者デズモンド・モリスの著書「裸のサル」の翻訳者として。 同じ頃に手に取ったユクスキュル著、クリサート挿絵の「生物から見た世界」などの翻訳者でもあり興味を持ちました。 数多くの論文や学術書の執筆のみならず、一般向けの本も書かれています。 この「世界を、こんなふうに見てごらん」は亡くなられた翌年、2010年に発刊された最後のエッセイ集です。 日高さんはいわゆる昆虫少年で、尋常小学校の頃から昆虫学者を目指していたそうです。しかし、両親の無理解や小学校でのスパルタ教育などが原因で不登校となり、一時は命を絶とうともされたそうです。 担任の両親への説得と、自由な校風の学校への入学で希望を見出し、その後の研究者人生へとつながっています。 平易で優しい文体の中に、真摯にものごとを追求してきた研究者の思いがよくあらわれた本で、私が療育や発達支援でこどもたちに接する上での基盤となる大切な本の一つです。 著作権が存続中の書籍であり冒頭部分のみの紹介となりますが、手にとってみられてはいかがでしょうか。 #朗読 #日高敏隆 #世界をこんなふうに見てごらん 〈使用楽曲〉フリーBGM DOVA-SYNDROME 「のる」さんより https://dova-s.jp/_contents/author/profile437.html
シネマで発達支援塾 #1「ギルバート・グレイプ」~なくせるか 差別と偏見と~
Jun 21 2022
シネマで発達支援塾 #1「ギルバート・グレイプ」~なくせるか 差別と偏見と~
今回取り上げる映画は「ギルバート・グレイプ」 1993年のアメリカ映画です 監督はラッセ・ハルストレム  主演はジョニー・デップ 助演はレオナルド・ディカプリオ、 ジュリエット・ルイスなどです レオナルド・ディカプリオがアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた作品でもあります アイオワ州の小さな町で暮らす主人公ギルバートとその家族、彼らと町の人々との関係性や旅人である少女との交流などを描いています 重い知的障害を持つ弟アーニーを、当時19歳で演じたレオナルド・ディカプリオのリアリティある演技は絶賛されています 障害や機能不全家族といったテーマも描かれていますが、私はかつてこの作品をリハビリテーション概論の授業の中で学生とともに鑑賞し、それぞれが感じたことについてディスカッションを行いました 舞台となるのはアメリカ中西部 アイオワ州の小さな町 互いが顔見知りという地域の中で起きる数々の出来事の背景に、偏見や差別も見え隠れします 人種や性別、障害など多くの偏見や差別 法律や条例など公的にはそれらは否定され克服されようとしていますが、実社会の中ではどうでしょう 映画の舞台となったアメリカにとどまらず、世界中で偏見や差別はなくなってはいませんね そもそも人種や性別などカテゴリに分けるという「区別」というものがある以上、本質的になくすのはむずかしいのかもしれません 私たち生き物のからだは、自他を区別し、異物を排除・攻撃しようとする性質も持っています。一方で細菌やウィルスと体内で共生し依存関係をつくってもいます 人と人とのかかわりあいでもそういった矛盾をはらみつつ生きている人間という存在です 偏見や差別はなくすというより、乗り越えるべきものであろうと私は考えます このギルバートグレイプという作品を観たことのある方はどうお感じになったでしょうか 使用BGM:フリーBGM・音楽素材MusMus https://musmus.main.jp より
思うようにいかないとき読んでいる言葉 「新約聖書 コリント人への第一の手紙 第12章より」
May 24 2022
思うようにいかないとき読んでいる言葉 「新約聖書 コリント人への第一の手紙 第12章より」
さまざまなことで思うようにいかないとき読むようにしている言葉があります。 新約聖書のコリント人への第一の手紙 第12章の一節です。 12:12 からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。 12:13 なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。 12:14 実際、からだは一つの肢体だけではなく、多くのものからできている。 12:15 もし足が、わたしは手ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。 12:16 また、もし耳が、わたしは目ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。 12:17 もしからだ全体が目だとすれば、どこで聞くのか。もし、からだ全体が耳だとすれば、どこでかぐのか。 12:18 そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、からだに備えられたのである。 12:19 もし、すべてのものが一つの肢体なら、どこにからだがあるのか。 12:20 ところが実際、肢体は多くあるが、からだは一つなのである。 12:21 目は手にむかって、「おまえはいらない」とは言えず、また頭は足にむかって、「おまえはいらない」とも言えない。 12:22 そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、 12:23 からだのうちで、他よりも見劣りがすると思えるところに、ものを着せていっそう見よくする。麗しくない部分はいっそう麗しくするが、 12:24 麗しい部分はそうする必要がない。神は劣っている部分をいっそう見よくして、からだに調和をお与えになったのである。 12:25 それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。 12:26 もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。 #新約聖書 #コリント人への第一の手紙 #からだと肢体 #発達支援 収録環境 #MACKIE #ProFX6v3 #EM89D #Presonus #StudioOneArtist