音で旅する只見線

ふくしまFM

福島県と新潟県を結ぶ「JR只見線」。福島県側は会津若松駅から只見駅まで88kmを主に只見川に沿って山間の街を走りぬけます。四季折々風光明媚な車窓は近年観光客が多く乗車していますが、奥会津地方から新潟県にかけては日本有数の豪雪地帯でもあり、冬場の道路事情も相まって周辺住民の貴重な足として活躍しています。 この番組は会津若松駅から只見駅までの列車に乗車し、その車内外の走行音を高音質録音したものをお届けします。 各回、原則駅間毎の走行音をお送りします。 列車の走行音や車内アナウンスのみを聴きながら、あなたの脳裏に浮かぶ「只見線の風景」をお楽しみください。 read less
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最終話「会津蒲生~只見」
Sep 1 2024
最終話「会津蒲生~只見」
会津蒲生駅から見えなかった只見川を再開するとその姿に驚きます。河川敷は広いけど川幅が狭くなっている!上流の只見ダムなどの放水の影響もあるのでしょうが、上流に来ました!と実感せずにいられません。会津蒲生駅を出発して車内アナウンスが流れます。もうすぐ旅の終点只見駅です。列車は新潟県まで走り抜けますが、この番組の旅は只見で下車。只見川とともに進路を大きく南に向きをかえると市街地が広がります。只見町はダム建設などもあり比較的開けた土地です。只見川と只見線は市街地を挟んで大きく離れていき姿が見えなくなりました。運行距離約88kmに対して所要時間3時間という謎が多きゆったり路線。88kmは東京と小田原間に近いと言えば想像しやすいでしょうか?収録しながら降車準備を始めるも録音機材をしまうことができないため、抱えて下車するという怪しい動き。只見線は全線ワンマン運転なので運転手さんの隣にある料金箱に切符を入れて前方の降車ドアからおります。静かだと感じていた車内でしたが、降りた途端に無音の世界に飛び込んできたような錯覚に。車両前の線路を横切り、只見駅の駅舎へ。放送では流れていませんが、改札を出てまだ停車中の只見線の車両にマイクを向けます。列車内ではJR東日本様との約束で三脚を使用しませんでしたら、外では三脚を使えます!ディーゼルエンジンのアイドリング音は50m程離れた場所でもしっかり捉えています。ヘッドホンで耳を澄ますとひばりの囀りが上空から聞こえます。一羽?いや二羽います。列車の音とひばりの声以外、何も聞こえません。駅前なのにそれだけです。駅前には食堂など建物もありますが、そこからは何も聞こえず、ただただひばりと只見線のみ。小出駅へ出発した列車を見送ると、いよいよひばりだけが囀る只見駅になりました。今回は初めての取り組みであったため最上級の臨場感をお届けできなかったことをお詫びします。同時に普段私たちが耳で感じる列車の音は音だけではないことを再認識しました。椅子下から伝わるエンジンやモーターの唸り、窓越しに飛び込む走行音など、マイクだけでは拾いきれない音が「列車の音」として私たちに飛び込んできます。もし少しでも音の旅にご興味を持っていただければ幸いです。
音で旅する只見線#14「会津越川~会津横田」
Sep 1 2024
音で旅する只見線#14「会津越川~会津横田」
会津川口を出発して「あれ?只見川の川幅狭くなってる?」と思い会津越川や会津横田あたりで見える只見川は明らかに川幅が細くなっています。上流部に来たのでしょうか?ちょっと只見線小話。只見線は1926年に会津若松~会津坂下間を開通、当時は「会津線」という名称でした。その後延伸を続け1956年に会津川口まで開業します。でも当時から”只見線”は存在しました。新潟県の小出駅から大白川駅間が開通したのが1942年。つまり1956年当時は会津線と只見線という繋がっていない別々の路線だったのです。一方、会津川口から只見までは「電源開発」という会社が田子倉ダム建設資材運搬のために敷設した専用路線が1956年頃に繋がりました。田子倉ダム建設後の専用線は1963年に譲渡され「会津線」が会津若松から只見まで延伸されました。1971年には只見駅から大白川駅までも建設され全通、全線に渡り名称を「只見線」となりました。田子倉ダム、只見ダムなど只見川沿線には大規模ダムがいくつもあります。ダム建設に必要条件を満たしていたためと思われます。実際、上流の尾瀬も東京電力の持ち物でダム建設を予定していたそうな。しかし尾瀬の自然を守ろうという声は戦前からあり東京電力の私有地ながら開発されることなく、東京電力も協力して尾瀬の自然を守っています。一度、田子倉ダムの中を見学させて頂きましたが、とにかく広いし暗いし・・・ここから首都圏に電力を送っていると考えるとそれを守る方々には感謝しかありませんね。
音で旅する只見線#13「会津川口~会津越川」
Sep 1 2024
音で旅する只見線#13「会津川口~会津越川」
会津川口駅を出発して右手に臨む只見川とともに大きく左に曲がると只見川第五橋梁を超えます。2011年8月に発生した豪雨により、この只見川第5 - 第7橋梁が流出、沿線の路盤も流出するなど甚大な被害がありました。そのため会津坂下駅~小出駅間が不通に。12月には会津宮下まで復旧しますが、宮下から只見までは依然不通が続きます。赤字路線に鉄橋の付け替えなど莫大な費用をかけるべきか否か?福島県内でも大きな話題となっていました。只見線は観光路線と見られがちですが、実は重要なインフラである点も見逃せません。奥会津地方は福島県でも有数の豪雪地帯。数メートルの雪がザラにあるなか、並走する国道252号が雪で寸断されれば忽ち奥会津は陸の孤島になりかねません。また只見町から新潟県への続く252号は険しい道。沿線住民の重要なインフラとして只見線が必要なのです。色々な流れを経て、上下分離方式として会津川口駅から只見駅までの区間のインフラ部分を福島県が、運行をJR東日本とする方式になりました。全線再開通2022年10月。10年以上の年月を経て只見線のある奥会津の風景が戻ってきました。2011年当時「(東日本大震災で)被災して大変な人もいるなか、只見線を復活させてくれってワガママ言えないよな」という住民の方の声はいまでも覚えています。震災そのものでは大きな被害はなかった奥会津ですが豪雨被害はそれは甚大でした。くしくも2011年に発生した震災と豪雨。もし福島の復興を考えていただけるなら豪雨被害にあった奥会津や新潟のことも思い出していただきたいです。
音で旅する只見線#12「会津中川~会津川口」
Sep 1 2024
音で旅する只見線#12「会津中川~会津川口」
只見線沿線、柳津町から只見町までは「奥会津」と呼ばれています。「会津」というと会津若松や喜多方を思い浮かべる方も多いですが奥会津は日本の原風景のような場所です。その奥会津の中心が会津中川駅や会津川口駅のある金山町(かねやままち)。実は乗車してきた列車には観光客数名と高校生もいました。途中駅から1人2人と増え、車内で挨拶してめいめい席に座ります。通路反対側のボックスシートに座っていた男性高校生の隣に座ったのは途中駅から乗車した女子高校生。ちょっと会話しただけでお互い顔を伏せって通学。そして会津川口駅で一緒に下車・・・。ちょっとおじさん邪魔ですね。高校生全員が下りた会津川口駅で列車交換のため少々停車。只見線は列車交換や休憩?のための停車時間が非常に長い。サムネの写真も一度ホームに降りて撮影しました。金山町はえごまの産地でもあります。この地方では「じゅうねん」と呼ばれています。そして有名な豆腐屋さんもあります。とてとて珍しいのは「天然の炭酸水」が湧き出ています。それを充填してペットボトルなどで販売しています。天然だから炭酸が弱いかな?と思ったら結構炭酸です!海外の天然炭酸水より飲みやすいなあと思って調べたら軟水の炭酸水らしい。海外では硬水炭酸水が多いので日本人の口に合う軟水だからかな?沼沢湖やスキー場、蕎麦など色々あります。
音で旅する只見線#09「会津西方~早戸」
Sep 1 2024
音で旅する只見線#09「会津西方~早戸」
会津西方駅付近で合流した国道400号とすぐにお別れ。国道400号は只見川を渡らずそのまままっすぐ、只見線は只見川を左岸側から渡り再び右岸側で走ります。ます。ここが「只見川第二橋梁」。撮影ポイントです。広い道からよく見えるポイントなどでお子様と一緒に見るならここかな?宮下駅に入る直前に渡る大谷川橋梁も良いかも。県道、只見線、国道252号それぞれに橋が架かっていてちょっと面白い風景。ちょっと山肌を走ると「会津宮下駅」に到着。2面3線のホームがあり列車交換ができる上に除雪車?の車庫もありなかなかの広さ。以前駅舎を訪問したときは昭和ながらの駅舎に高さの低い有人切符売り場に感銘しました。会津宮下駅を出発すると只見川が右手間近で見られます。と思ったら只見川をせき止めているダムを発見。東北電力宮下ダムです。ダムと只見線は切っても切れない関係なのですが、詳しくはおいおい説明します。山間を通る只見線と只見川、なかなかクネクネと曲がっている只見川とできるだけ線形を保ちたい只見線の攻防が右岸左岸を渡ることになりますが、大きな橋「第三只見川橋梁」を渡ります。個人的には一番しっくりくる撮影スポットです。国道252号か県道か忘れましたが見下ろす形で鉄橋を渡る只見線を眺められます。眺めるだけなんです・・・音は撮れるけど写真とかまったくセンスがないので・・・